東京高等裁判所 平成元年(ネ)999号 判決
民法一〇四二条にいう減殺すべき遺贈があることを知った時とは、遺贈の事実及びこれが減殺できるものであることを知った時と解されており、民法が遺留分減殺請求権につき特別の短期消滅時効を規定した趣旨に鑑みれば、被相続人の財産のほとんど全部が遺贈されていて遺留分権利者が右事実を認識しているという場合においては、遺言の無効の主張について、一応、事実上及び法律上の根拠があって、遺留分権利者が右無効の主張を信じているため遺留分減殺請求権を行使しなかったことがもっともと首肯し得る特段の事情が認められない限り、右遺贈が減殺することのできるものであることを知っていたものと推認するのが相当というべきである。
本件建物について昭和五七年一一月一一日、本件(二)(三)の土地について同月一〇日それぞれ本件相続登記がされた事実、本件遺言の遺言執行者が控訴人を相手どって昭和五九年五月三一日本件遺言の存在を主張して別件訴訟を提起し、同年七月四日の第一回口頭弁論期日に本件遺言書を証拠として提出し、他方、控訴人は本件遺言が無効であると主張して争ったが、その後証拠調を経て、同年一二月二六日本件遺言が有効であるとして遺言執行者の請求を認容する第一審判決が言渡された事実、控訴人が同判決を不服として控訴したが、昭和六一年一二月二五日控訴棄却の控訴審判決が言渡され確定した事実は、当事者間に争いがない。また、原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証、第五ないし第九号証、第二三ないし第二五号証、乙第一号証の一ないし六、第二号証の一ないし八、第三号証の一及び二、第四号証、第五号証の一ないし四、第六号証の一及び二、第七号証、第九ないし第一一号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立が認められる甲第四号証、同じく成立が認められる乙第八号証(ただし、公証人作成部分の成立は争いがない。)及び第一二号証並びに弁論の全趣旨によれば、別件訴訟において、控訴人が本件遺言の無効を主張した理由は本件遺言書のまちの署名が偽筆であることに尽きるが、その根拠は本件遺言書のまちの署名は一旦「まち」と記載された上で棒線で抹消されて「ち」と記載されていること、右署名がまちの自筆したものに似ていないこと、本件遺言書が東京で作成された昭和五二年二月一〇日当時まちは仙台市の控訴人方に隣接する家屋に居住しており大雪で年齢も考えると上京することは困難であったこと、また、当時まちは家業の百反商事株式会社の役員をしていたが経営が困難で資金繰りの交渉に協力しており何日も仙台を空けることはできなかったから上京することはできなかったこと等である事実、控訴人は第一審では芳しい立証をしなかった事実、控訴人は控訴審では本件遺言書のまちの署名について鑑定を申立てるなどの立証をしたが、控訴審判決は控訴人が主張する前記各根拠を採用せず本件遺言書のまちの署名が偽筆であることは肯認しなかった事実が認められる。
以上を総合して判断すると、本件遺言書によりまちの主要財産が遺贈されていて遺留分権利者である控訴人が別件訴訟の第一審係属中には右事実を認識していたが、本件遺言の無効の主張について一応事実上及び法律上の根拠があって遺留分権利者が右無効の主張を信じているため遺留分減殺請求権を行使しなかったことがもっともと首肯し得るだけの特段の事情は認められない(遅くとも本件遺言が有効であるとして遺言執行者の請求を認容する第一審判決が言渡された時点で、控訴人は同人の主張にかかわらず裁判所が本件遺言が有効であると判断するため遺留分減殺請求権を行使する必要があることを認識し得たと解されるし、右時点において、控訴人が主張する前記根拠からは控訴審裁判所が本件遺言が無効であると判断して第一審判決を取消すことが確実であると考えるのは相当でないと解される。)ので、控訴人は遅くとも昭和五九年一二月二六日第一審判決が言渡され、その直後に同人の訴訟代理人に右判決が送達された際には右遺贈が減殺することのできるものであることを知ったものと推認される(被控訴代理人は別件訴訟の第一審判決の言渡のあった昭和五九年一二月二六日の直後ころを遺留分減殺請求権の消滅時効の起算時として明確には主張していないが、被控訴代理人の消滅時効の起算時の主張には右趣旨を含むと解する。)。そうとすれば、控訴人が遺留分減殺請求の意思表示をしたのは被控訴人佐々木孝子について昭和六二年六月一一日、被控訴人秋本勢津子について同月一〇日であるので、右各意思表示の時期と別件訴訟の第一審判決の言渡のあった昭和五九年一二月二六日の直後ころとは一年間を超えていることは明らかであり、控訴人の遺留分減殺請求権は時効により消滅したものである。
(渡邉 大島 土屋)